お城ジオラマ復元堂

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滝山城築城記(7)-滝山城の城ラマの見どころ-

滝山城築城記(7)-滝山城の城ラマの見どころ-

みなさん、こんにちは。

八王子市より受託した滝山城の城ラマの製作過程をブログにしております。

今回はその7回目です。

さて、前回までは主にデータづくりについて記しました。

データが完成したらそのデータを型取りします。

その型取りしたものをまずはヤスリで磨き、ある程度滑らかになったら下地の色を塗っていきます。

その後、リアルサンドやフォーリッジ、ターフなど、主に鉄道模型で使用される情景材料を使い、さらに着色によって色を重ねながらジオラマを仕上げていきます。

最後に柵や塀、建物を設置して完成となります。

ま、簡単に書いていますが、この作業、結構大変なんです。なんせ、1/1500の世界ですから!

さて、完成した滝山城の城ラマのこだわりの見どころをいくつかご紹介しますね。

滝山城築城記(6)-悩みに悩んで変なのつくる-

滝山城築城記(6)-悩みに悩んで変なのつくる-

みなさん、こんにちは。

現在八王子市から受託した滝山城の城ラマの作成を進めており、その様子をブログにしております。

今回はその6回目です。

まぁ、城郭復元などと大層なことを謳ってはいるものの、やっぱり最後までよくわからない、もしくはイメージできてもうまく立体表現できないところは結構あります。

滝山城でも最後まで決まらなかったところが、2カ所。

1つは、現在のメインの入り口となっている南側の虎口

そしてもう一つは山の神曲輪の手前にあるピークです。

滝山城築城記(5)-北条氏と弁財天-

滝山城築城記(5)-北条氏と弁財天-

滝山城には「弁天池」という池がありました。
現在は水を溜めていた土手が崩れてしまっているので、水は溜まっていませんが、その一角に方墳のように盛り上がった場所があり、「弁天島」と呼ばれています。
滝山城には「弁天池」という池がありました。
現在は水を溜めていた土手が崩れてしまっているので、水は溜まっていませんが、その一角に方墳のように盛り上がった場所があり、「弁天島」と呼ばれています。

滝山城縄張東京都弁天池と弁天島

(弁天池と弁天島)

ここには弁財天が祀られていた、ということで弁天島の名がついているのであるが、北条氏の城に興味がある人は「弁財天」というのは聞きなれた言葉かもしれないですね。

そう、北条氏の本拠地でもある小田原城には「弁財天曲輪」が存在しているし、埼玉県の寄居町にある鉢形城にも「弁天社」があったとされています。

なぜ、弁財天なのか?

滝山城築城記(4)-永禄12年に思いをはせる-

滝山城築城記(4)-永禄12年に思いをはせる-

私はお城を見る時は常に「当時はどうだったのか?」ということを意識しながら見ます。

また、同じ大名のお城にはどこかしら共通点があることも珍しくありませんので、あるお城で崩れてしまって原型が分からなくなっている遺構の復元に、別の城の遺構が参考になることもあるのです。

なので、いつもお城歩きは真剣そのものです(笑)

今回は永禄12年の武田勢との戦いで、北条氏照と武田勝頼が直接槍を合わせたという伝説がある、東馬出から二の丸にかけての調査帰記録を動画にしました。

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