城との出会いが作品を生む
かつて私はサラリーマンをしていた。人と少し違うのは、外資系企業ばかりを何社か渡り歩いたので、自分で起業したいという思いが強かった点くらいである。
そんな私が作家になったのは、たまたま訪れた中世古城がきっかけだった。
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かつて私はサラリーマンをしていた。人と少し違うのは、外資系企業ばかりを何社か渡り歩いたので、自分で起業したいという思いが強かった点くらいである。
そんな私が作家になったのは、たまたま訪れた中世古城がきっかけだった。
戦国期に戦国大名の軍団が対陣すると、臨時に空堀・土塁を設け陣地を造り敵襲に備えていた。
各地に残されている臨時の陣地を観察すると、二種類に分かれていることが見えてくる。
西南戦争時に西郷隆盛は熊本城攻撃で「我々は清正公と戦っている」と言っている。
この会津若松城の戦いでも大山弥助、そして新政府軍は戦国時代の武将・加藤明成と戦っていた事になる。
この城郭は韓国・倭城に見られる「登り石垣」が造れており城攻めされた時の防衛の要です。