HOME > 城ラマシリーズ > 城ラマシリーズ第二弾 遠州高天神城 > ムック本
城郭復元マイスター二宮博志が、何度も現地を訪れ執筆した遠州高天神城のムック本。
城郭研究家藤井尚夫氏のコラム、脚本家原田裕文氏による短編小説など内容も充実!!
髙天神城跡は遠く遠州灘を望む標高132mの鶴翁山にあり、三方が断崖絶壁、一方が尾根続きで自然の地形を利用した要害です。
天正9(1581)年に落城以降しばらくして廃城になりましたが、現在でも比較的当時の遺構が良く残されており、北側の搦め手道、南側の追手道の両方が整備されていて、城跡を散策できるようになっていますので、その険しさ、堅城ぶりを今でも実感することができると思います。
髙天神城は地形上井戸曲くる輪とよばれている場所を要として東峰と西峰に分かれていて、東西それぞれに主郭となる曲輪が存在しています。
東峰の「本丸」と呼ばれている場所と西峰の「西丸」(丹波曲輪)」と呼ばれている場所です。
このような東峰と西峰が単独でも城郭として機能する城を「一城別郭の城」と呼んでいます。
髙天神城は築城の時期は明らかではありません。
この付近の土豪である土方氏を含めこの場所に古くから砦があったという伝承はいくつか存在しますが、はっきりと確認できるのは永正年間に今川氏の城として機能していたことです。
永正年間の髙天神城は福島左衛門尉助春が城代だったようです。
福島助春は、地黄八幡で知られる小田原北条家の武将・北条綱成の父である福島正成と同一人物かその親族と言われています。
今川氏親の側室が福島氏の出であることから氏親時代の今川氏を支える重要な家臣だったことは間違いなく、以降も福島氏が城代を務めたと思われます。
翌天正3(1575)年、長篠合戦において織田・徳川連合軍が大勝すると、遠江における徳川と武田のパワーバランスも変化し、徳川勢が徐々に武田勢を圧迫するようになってきました。
しかし天正6(1578)年になると状況が大きく動きます。
この年の3月に越後の上杉謙信が死亡し、謙信の2人の養子である景勝と景虎が後継者を巡り対立し御館の乱が勃発すると、勝頼は北条氏と同盟関係にあったことから北条氏政からの要請で氏政の弟である景虎を支援するためこの乱に介入しました。
現在の静岡県掛川市にあり、国の指定史跡でもある高天神城の城郭を周辺の地形を含め、1/1500のA4サイズで完全復元しました。
徳川家・武田家の攻防の舞台となり、「高天神城を制する者は遠州を制する」とまでいわれた、東遠江の要衝「遠州高天神城」をジオラマ風に仕上げました。
前作長篠城同様、城郭研究家の藤井尚夫氏の監修のもとで資料に基づき再現。
山城の魅力を存分に楽しめる作品です。
城ラマ 高天神城通常版 14,580円(税込)
城ラマ 高天神城特装版 16,200円(税込)
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