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滝山城築城記(2)-山の神曲輪も本気じゃん-

みなさん、こんにちは。

以前の動画、小机城の作り方(第九回目)において、お城関係の検索ワードでない「大本教 コロナ」のキーワードで11件ものアクセスがあったことを紹介しました。

 

大本教コロナ

(google検索の結果)

 

 

しかし、本日グーグルアナリティクスの分析結果を受けとり、さらに衝撃的な事実を目の当たりにしました。

前回は11件で驚いていたのですが今回は同じワードで、なんと100件以上のアクセスを確認。
このところの不安な世相を反映しているのかなぁーーなんて思ったりなんかして、やっぱりあっち系の(どっちだよw)話題の方が食いつきがいいのかしら?なんて思ったりもしています。

 

 

さてさて、話は初っ端から逸れてしまいましたが、滝山城の調査の話題に戻ります。

現地調査を始めたのは、新型コロナで世間が騒ぎ始めていた3月3日。

東京都教育委員会『東京都の中世城館』にある滝山城の縄張り図を参考にしながら、そして所々侵入が禁止されている場所もありますので、その辺りはきちんと八王子市教育委員会の許可をとって調査をしました。

 

縄張り図書き込みjpeg

(記憶が定かなうちにデータに打ち込まないと訳が分からなくなる・・・)

 

 

ちなみに以降、3月5日、9日、11日、25日、4月3日、5日、10日、11日、16日、25日、29日、5月2日、6日と登城しました。
本当はこんなに行く予定ではなかったのですが、広大な敷地と、持ち前の探求心に火が付き、なんと計14回も行ってしまいました。

 

滝山城の調査で大変だったところは大きくは4か所です。その4か所とも背丈以上の藪が行く手を阻み容易に前進できない場所です。しかも目の前にある藪で視界が遮られ曲輪の形や広さも正確には把握することができず、もう感覚のみの世界です。

 

そのうちの1つが山の神周辺でした。

 

藪こきポイント

(滝山城の4つの藪こぎポイントと山の神曲輪)

 

 

山の神曲輪の話にいく前に、ちょと寄り道。山の神の手前に尾根道があって、そこから一本下っていく道があります。持っていった縄張り図には何も記載が無かったのですが、好奇心につられてその道を降りていくと・・・なんとまぁ、遺構があるじゃないですか~。そこにはいくつかの段と小さながらも虎口と思われる遺構が確認できました。現在はさらにその先(下)の谷には道路が走っていますが、この道が開通するまでは川があった場所なので、その川筋からの敵の侵入を監視するための場所でしょう。

 

尾根の下の郭群

(山の神曲輪の南にある尾根の西側に広がる遺構)

 

 

さて、お目当ての山の神曲輪。たしかに曲輪の南に広がる平場は、遺構がぼんやりとしていてあまりしっかりと築城している感じがありません。ただ、山の神曲輪からは多摩川方面への視界が開け、ベンチなんかもあってくつろげる場所なので実はお気に入りのスポットになった場所です。

ここからは、なんと狭山丘陵を見ることができ、さらには西武ドームも確認することができます。つまり武蔵北部から侵攻してくる敵が手に取るようにわかる場所なんです。

あたらめて滝山城の立地の重要性を認識しました。

 

狭山丘陵 西武ドーム

(滝山城山の神曲輪からみる西武ドーム)

 

 

郭の北西方面には緩斜面があったので下っていくと、なんと立派な竪土塁というか、尾根を人工的に作り出しそれをアグレッシブに際立たせた遺構が幾筋も枝分かれしてあるじゃないですか。

竪土塁

(ちなみにこの辺りはちょっと足を踏み外すと滑落の危険がありますので、十分ご注意ください)

 

 

これも縄張り図には記載がない遺構で、実際はこの山の神曲輪の北面全てに配されていることが確認でき、多摩川方面からの敵に対してしっかりと築城している、本気度を示している感じです。ここは本当に民衆の逃げ場なのだろうか?という疑問が湧いてきます。

さて、この辺りの最大の藪こぎポイントは、山の神曲輪の南にあるローマの円形劇場のような遺構。ちょうど先ほどの尾根から下る虎口空間と尾根を挟んで反対側になりますが、ここは本当に大変です。二度と行きたくないポイントですね(笑)。でも、この円形劇場のような遺構。もちろん元々それに近い地形であったでしょうけど、ちょっと不思議な形ですよね。

円形劇場

(ローマの円形劇場のような空間)

 

 

この辺りの地形は1/1500の城ラマでは、なんというか、ほとんどの人がスルーしてしまう全く注目されないポイントだと思いますが、本当に苦労した場所なのでジオラマ完成の暁には、是非この辺りの形をしっかりと見て下さい。

 

今日はこの辺で。

 

 

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二宮博志

二宮博志

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