滝山城築城記(1)-8繋がり-
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みなさん、こんにちは。
ようやく契約の運びとなり、情報をオープン出来るようになりました。
実際新型コロナによって、どうなるか分からなかったので、内心ホッとしています。
SNSでは開発中の3D画像の一部をアップして、どこの城か「クイズ」を出しましたが、答えは「滝山城」でした。
(滝山城を多摩川上空から眺めたアングル)
滝山城があるのは東京の八王子市ですが、なぜか今年は私は「8」という数字に関わることが多いのです。
まずは今年の初めに、お城仲間数人で中井先生に滋賀県の八講師城を案内してもらいました。
(八講師城のものすごい切岸)
その後、近江八幡市から問い合わせがあり「安土城」の城ラマやARの検討をしていました。
残念ながらこれは受注に至りませんでしたが・・・
さらに、京都府南丹市から八木城のイラスト作成の業務を受注しました。
城ラマ監修でもおなじみの藤井尚夫氏が画いたイラストは、まだ手元にはないのですがポスターになったようです。
(八木城は明智光秀の丹波平定において重要な城。明智時代のものと思われる石垣もある)
そして、このたび、八王子市から滝山城の城ラマの受注と、お城関係は8に絡むものが非常に多いです。
私が愛媛県の八幡浜市で生まれたということが関係しているのであろうか・・・・
まぁ、末広がりの8は縁起がいいってことで!
話を滝山城にもどしましょう。
昨年は八王子城の城ラマ製作をさせて頂いたのですが、話があったのが4月の後半で納品が八王子城跡まつりの開催日である6月23日と、たった二ヶ月しかなく、十分な準備ができないまま製作しましたので、色々と反省することしかり。
ま、逆にいうと二ヶ月でよく作れたな・・・というのが本当の所なのですが。
(二ヶ月の突貫で作成した八王子城の城ラマ)
あのサッカー日本代表の本田圭佑も「準備が全て」と行っていた通り、城ラマ製作も例外ではありません。
今年も当初は6月後半の納品という可能性が高かったので、しっかりした準備をしようと2月からデータづくりを始めました。
もちろん、まだ予算も組まれていませんし、もとより発注になるかすらわかりませんので、完全に自己責任です。
でも城ラマは現地調査が基本ですから、草木の少ない時期に現地を見ないと取り返しのつかないことになってしまいますから、この位から始めないとしっかりした準備ができないんですよね。
2月一杯で大まかな地形データを作り終え、3月から現地調査を開始しました。
(3月の滝山城は木々にまだ葉がない状態でした)
私も一応東京都民ですから滝山城は何度か訪問したことはあります。
でも、滝山城は超ーーーーーーでかいので、見ていない部分も沢山ありました。
その「見ていない」の最たるが「山の神」といわれている場所とその周辺です。
「山の神曲輪」は滝山城のメインの防衛ラインからは外れているので、どうしても防衛ライン内の他の遺構に目が行ってしまいます。滝山城には「滝山城跡群・自然と歴史を守る会」が中田正光氏の縄張り図と共に解説版を設置してあるのですが、そこには「山の神曲輪」は「城下や周辺村々の民衆たちを敵の乱取り(放火や略奪)から守るために設けられた避難場所だったと考えられる」と書いてあったこともあり、本格的な築城じゃないんじゃね?と勝手に判断し、後回しにしていた部分です。
(滝山城防衛ラインと山の神曲輪の関係)
しかし、城ラマには当然この部分も再現する訳で・・・・まずは行ったことのない所から行こうということで、山の神周辺の探索から始めました。
滝山城はメインの部分は公園化されているので、とても歩きやすいイメージがあると思います。でも実はまったく手つかずの場所も結構あって、山の神周辺はまさにそういう部分が多く、背丈以上の藪に何度も行く手を阻まれ・・・、そして「山の神曲輪」周辺は大したことない説が完全に覆されることになるのでした・・・
続きは次回!