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増山城築城!(2)-ふたたび登城!しかも二日間(笑)-

城ラマ開発奮闘記、増山城編の第二弾でございます。

 

前回はその規模に驚愕した!という内容でしたが、その後富山は雪の季節に入ったという事もあり、次の増山攻めは雪解けを待たねばなりませんでした。
雪解けをまって出陣なんて、まるで上杉謙信のような気持ちですww

 

雪解け後の4月、富山城、高岡城のジオラマ営業に再び富山に訪れた私は、チューリップが咲き誇る砺波の地に再び降り立ったのです。増山城に行くために!しかも2日間も時間を取っての本気の登城です!

チューリップ

(増山陣屋前に咲いていたチューリップ)

 

二度目の訪問はまずは増山城近くの「増山陣屋」に寄って情報収集。
増山城に関する歴史や資料が展示してあり、とても勉強になります。
香川さんの鳥瞰図も飾ってありますので、増山城の全容をイメージするのにはとてもよいですね。

増山城パンフレット香川さん絵

(パンフレットにある香川さんの鳥瞰図)

 

大事なのはマップの入手。これがないとあの広い城内のどこに自分がいるのかよくわからなくなります。

マップを手にして、いざ出陣!

 

一般的な登城口は、増山陣屋から和田川ダムを抜けた先の門(後付けです)から入城するところ。
この門をくぐるとすでに左右から狙われている感じがします。
この登城道をどんどん進むと、F郭とよばれる広い空間にでますが、このF郭の手前には左右に巨大な堀切を確認することができます。
あっ、圧倒的じゃないか!」とビクザムを見たアムロのようにつぶやいてしまうのでした。

堀切F郭付近

(堀切!堀切!堀切!)

 

増山城の特徴の一つとして、このように両脇の山の尾根から谷筋に延びる堀切によって一つの防御空間をつくりだしていることが挙げられます。

 

もちろん堀切によって防ぐというのは、城側のセオリーのひとつですが、増山城の場合それがものすごくはっきりしていて、またその堀切の数や規模が半端ないです。

 

あ、ちなみにアムロ繋がりでいうと、増山城の主要な郭の一つである、C郭は「安室屋敷」と呼ばれていますがこれは「あむろやしき」ではなく「あぢちやしき」と読むそうです。(つながってんのかよw)

 

一日目はF郭から一の丸、二の丸、安室屋敷、三の丸までの狭義の増山城、そして二日目は御所山屋敷から北上し、亀山城を経由して孫次山砦の手前まで、と今回は二日間にわたり藪の中に分け入ったり、腰郭がしっかりと続いているかを確認したりと、かなり本格的にお城を歩くことができました。

増山城一の曲輪から土居を望む

(一の丸から城下町の土塁跡を望む)

 

特に狭義の増山城、そして亀山城に関してはある程度の防衛思想のようなものを認識することができましたが、その間に点在する砦、屋敷群との関係はやはりいまいちよく分からず。

 

とくに中間地点にあり、城をひとつ作ろうと思えばいい城が出来るのではないか?と思えるような、なかなかいい形をしている長尾山には、全く遺構がない。防御拠点としては完全に捨てている。

 

増山城パンフレッ3

(文中の位置関係はこちらのパンフで確認ねがいます)

 

ちょっとだけ分かったような、逆にわからなくなったような、二回目の増山城訪問でした。

 

と、同時に今回増山陣屋で手に入れたマップをもって歩いたのですが、ずっと持って歩くわけにもいかず、かといってマップを取り出したときに、はて?どこにいるのか?と探すのが結構大変。特に増山城のような広い範囲の山城においては弊社で開発した「城ポジ」(まぁ、分かりやすく言うとポケモンGOのようなGPSを使った位置システム+アクションアプリ)が非常に役に立つのではないかなぁと思った次第。

 

IMG_0906(城ポジ 小机城 試作版)

 

ちなみに2日目は偶然居合わせた砺波市教育委員会の野原さんに少し現地を案内してもらったのですが、増山城に対して(もちろん他の遺跡にもですが)真摯に向き合うその姿というか、郷土愛というか、何かそういう熱い想いに感動しました。

 

また、今回野生のニホンカモシカを見たり、イノシシの威嚇音を聞いた(生まれて初めて!)りと、東京で生活していたら体験できないことも体験できて、楽しかったです!

日本カモシカ

(ニホンカモシカに遭遇!)

 

つづきは次回!

 

著者情報

二宮博志

二宮博志

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