増山城築城!(1)-増山城って知ってる?-
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お城ジオラマ復元堂が、富山県砺波市より「増山城スタンプラリーアプリ」を受注したことはSNS等でも報告いたしました。
これから、増山城のこと、開発の経過など少しづつブログでも発信していきますので、お楽しみに!
さて、増山城ってみなさん行ったことあります?っていうか続100名城に認定される前に知ってました?
(増山城説明版)
私も東京に住んでいることもあり、北陸新幹線が開通するまでは富山や福井はちょっと時間がかかるということで、なかなか訪問できない地域でした。
なので、知識としてぼんやりと知っていただけで、行ったこともなければ、縄張り図もみたことがありませんでした。(大変失礼しました)
少し話はそれますが、今、私は毎月1回は必ずどこかのお城のある地域に、お城の「ジオラマ」や「デジタルコンテンツ」の営業に出かけています。
2016年から年末に横浜で行われている「お城EXPO」に出展したところ、多くの自治体の方に興味を持っていただいたことがきっかけです。
あ、そうそう、今年もパシフィコ横浜で12月22日から24日まで開催されます。私どもも物販ブースを出展しますので、是非来てくださいね。
そんな中、昨年の10月に砺波市に営業に行き、初めて増山城に上りました。
(増山城址入り口)
お城の歴史を簡単にまとめると、増山城は当時越中に勢力を広げていた神保長職が、本城であった富山城を上杉謙信に追われてから本城とした城です。永禄~天正にかけて上杉謙信や一向一揆勢、さらには織田勢にも何度も攻められました。その後佐々成政が入城し、豊臣秀吉との戦いに備え城に大幅に手が加えられましたが、秀吉の越中征伐により成政は降伏。城は前田氏の領有となりました。前田氏時代は重臣の中川光重が城将となるなど、この地域の抑えとして重要な拠点でしたが、1615年の元和の一国一城令により廃城となります。
増山城は一の丸、二の丸、三の丸などを中心とした狭義の増山城と、亀山城を始めとする多くの屋敷や砦を含む広義の増山城があります。
増山城郭群とも呼ばれる広義の城跡は、丸一日いや、じっくり見るのだったらそれでも足りないくらいの巨大な城郭です。
(増山城一の郭より)
さらにこの城の面白いところは単純に空間的(横軸)で広いだけではなく、神保、上杉、佐々、前田の時代が折り重なって、時間軸(縦軸)にも奥行があるので、この城を理解するのがとても難しいところ。
っていうか、「どうなってんだ!この城!これ、おれの知ってる山城じゃない(笑)」ってのが初めて登った時の感想。
当然、訪問するまではそんなことは予想だにしなかったので、一度訪問しただけでは物足りない!というか、また見たい!という欲求がMAX!
(増山城一の丸からの眺め)
まだ俺はこの城を「知った」とは言えない・・・
また必ず行こうと心に決めるマイスターであった・・・続く