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増山城築城!(5)-二宮繋がり-

みなさん、こんにちは。
今年初めから色々とバタバタとしておりまして、超ーーーーーーー久々の更新となりました。

 

4月6日の城の日も、特にイベントをやるわけではなく、SNSも更新せずと、「やる気あんのかい!」と言われそうでございますが、お城愛は健在でございます(笑)

 

実は先月末に増山城のアプリの竣工検査がございまして、見事合格!という流れになっておりますことを最初に報告いたします

 

ちょっと話はそれますが、私はとても信心深いので、その土地にお邪魔させて頂くとまず神社にお参りして神様にご挨拶します。
その後で人にお会いしたり、仕事をするようにしています。
今回の検査の時も砺波市でのお気に入りの雄神神社の狛犬さんに「よろしくね!」とご挨拶。
狛犬さんのご加護もあり、無事審査を通過しましたw

 

雄神神社狛犬

(雄神神社の狛犬さん。いやーこの神社いいよ♡)

 

現在アプリはバグなどをチェックしながら最終調整しておりまして、その後各OSへの申請を行い、審査に通過すればプレイできる!という流れになります。

 

その辺りは随時報告しますね。

 

さて、すでに半年くらい前のことを思い出しながら書いていますが(笑)、増山城のアプリ制作を受注後、まず行ったことは様々な資料をかき集める、ということです。

 

増山城の場合は発掘調査が行われており、その成果がきちんと報告されているのでとても有難かったです。

 

増山資料

(色々読み込みます)

 

でも、お城を作るときに必要なのはお城の資料だけではありません

 

増山城に関係のある上杉氏、神保氏、佐々氏、前田氏、そして一向宗などの関係や時代背景なども調べてお城が作られた背景なども頭にインプットしていきます。

 

そういう情報があると、ある遺構を見たときにこれがどういう目的で作られたか?というヒントになることもあるからです。

 

そうしたら、なんと文献上増山城を最初に攻めている人が「二宮円阿」という人だということが分かりました。この二宮円阿、斯波氏の家臣で南北朝時代に活躍した武将で、貞治元年(1362年)に信濃から越中に侵攻し、南朝方であった桃井直常の軍勢と増山城付近で戦い、その軍功を翌年「二宮円阿軍忠状」に記したことでも有名です。

 

なるほど、私がこの増山城に執着にもにた感情を覚えるのは、ご先祖様の想いが私に流れているのか!?なんて勝手に思ったりしますが、私と二宮円阿の血縁を示す証拠は何一つありません(笑)。

 

全くの妄想です!

 

でも、こうやって増山城のアプリを実際作らせてもらっているので、なにかの繋がりは感じますね。

 

ご先祖様(いや、しつこいってw)に恥ずかしくないアプリを作るべく、頑張ってマウスをクリックする私でありました。

 

増山城データクリック

(半端じゃないクリック数に手が痛くなるw)

 

続きはまた次回!

 

 

著者情報

二宮博志

二宮博志

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