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明石城築城!(6)ー屏風折土塀と早稲田の校歌ー

さて、明石城築城!のブログもはや6回目です。

前回は、屏風折土塀発見のために、三の丸土塁上の探索を始めた、というところまででしたね。

実は、9月9日に山形城で屏風折土塀の遺構が発見されたというニュースが駆け巡りましたが、この写真でもわかるように、山形城のケースでは土塀を固定する根固めの石列があります。

山形城屏風折れ土塀
(9月9日の毎日新聞のネットでのニュース)

 

このイメージをもって現地にいったので、根固め石を必死こいてさがしていましたが、探せど探せど石列は見つかりませんでした。

同じ場所を何度も何度も往復し、目を皿のようにしても見つけることができなかったのですが、ふと同行している藤井先生が、「おっ!ここに瓦が埋まっている」というので目をやると、規則的に並んだ埋まった瓦の列があったのです。

そして、それは一列ではなく、約90cmほどの間隔で二列存在していました。

明石城東側土塁1(土塀の跡)

(土塀の根固めの瓦-赤い丸-と、瓦の列-青い線-)

 

なんと明石城は根固めを石ではなく、瓦で行っていたのでした。

山形城の例が石列であったので、自分の頭の中が石ばかりに意識が行ってしまい、瓦の列を(きっと何度も見ていたはずなのに)発見できなかった!

何たる不覚!

この瓦の列を進んでいけば、屏風折土塀の遺構に遭遇できるかもしれない!

横浜市の城郭復元マイスター、明石城の屏風折れ土塀の遺構を発見!

という新聞の見出しを妄想しながら、残暑の厳しい太陽の日差しを浴びながら土塁の上を探索。
しかし2時間あまりの奮闘も空しく、遺構を発見することはできませんでしたが、この屏風折れ土塀の存在は明石城が築城された時代の大きな特徴でもあると考え、ジオラマでは再現することに決めました。

さて、無念な想いで、土塁上をトボトボと歩いていると、明石公園内にある野球場から「♬都の西北早稲田の杜にー♪」と早稲田の校歌が流れてきました。

「ん?なんでこんなところで早稲田の校歌が聞けるんだ?」と不思議に思ったのですが、なんとその時期明石トーカロ球場では第62回全国高等学校軟式野球選手権大会が行われていたのです。

今回明石市内のビジネスホテルが一杯で取れなかったのは、これが原因か!と納得し、三度人丸花壇の温泉の恩恵にあずかるのでした。

温泉マーク

(見苦しい写真ですみませんが人丸花壇さんの温泉を堪能中)

 

次回は最終回!

*告知です!
1月30日(火)18時30分から、明石市のパピオス市民広場で明石城の城ラマの披露が行われます。
その際に(多分)私も講演を行いますので、お近くの方、ぜひ遊びに来てください!

明石城転載不可

 

著者情報

二宮博志

二宮博志

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