明石城築城!(5)ー実は巨大な明石城ー
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城ラマ明石城の築城記、忙しさにかまけてたらあっという間に年を越してしまいました!
ってか、もう明石観光協会様に納品が終わってしまったタイミングで続きを書いています。
スミマゼン。
明石滞在3日目は、城ラマ監修を引き受けてくださっている城郭研究家の藤井先生と合流。
毎度のことなんですが、城の外周から丹念に見ていくので、なかなかいわゆる「城内」にはたどり着きません。この時も、人丸前駅から北に延びる外郭線から調査を開始。
(明石葵会発行 明石城関連絵図資料集の図に加工して使用)
でもこの作業もとても大事。実際に歩くことによって、その高低差や土の具合、地形のクセを体にインプットさせていきます。
ちなみに、明石城周辺の土はマサ土っぽくて関東の土とはちょっと違う感じですね。
明石城の外郭は西側は明石川というとても分かりやすい目印がありますが、東側と北側は地図で見ただけではよくわかりません。
しかし、歩いてみると東は両馬川と段丘を使って外郭線を構成していることがはっきりと分かります。
(東の外郭線の段丘)
明石城の本丸の場所は、築城以前は柿本人麻呂を祀った祠と月照寺というお寺がありましたが、築城に際して現在の人丸山の位置に移動しました。寺は戦時には軍事拠点として使われることも多いのですが、この月照寺および柿本神社もこの段丘の上にあり、東側の外郭線の一翼を担っています。
ちなみに月照寺の山門は明石城の居屋敷の切手門を移築したものですが、さらに時代を遡ると伏見城にあった門だそうです。
(月照寺山門)
一方北側は人工的に堀を掘って(もしくはもともと谷だったところを利用して)外郭線を構成しているのが分かります。ちょうど明石公園の北側の入り口から金錦中学校に抜ける道が当時の堀の跡でしょう。
(北側の外郭線の堀跡)
こういうの歩いてみるとメッチャ興奮します!(僕だけ?)
その後城内に異動し、前日に私が回って疑問に感じたことや、絵図との比較をしながら城を探索します。
そして、明石城復元の目玉である「屏風折れ土塀」の探索を開始。
残暑厳しい明石城内堀の土塁の上を藤井先生と共に目を皿にして歩き回るのであった!
(土塁上に残る土塀の跡)
続きは次回!(ひっぱるなぁww)