明石城築城!(2)ー明石湊の土塁ー
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明石城の開発ブログの第二弾です。
ご存知の方もいると思いますが、私ども、お城ジオラマ復元堂は現地調査をとても大事にします。
お城のジオラマの模型は縄張り図やそれに類する平面図があればある程度のものは作ることができます。でも実は図面や縄張り図には全ての情報が網羅されている訳ではありません。特に縄張り図は、その書いた人の「城の見方」が反映されますし、それを受け手(見る側)がどのように解釈できるか?というのもポイントとなります。
でも、解釈しようにも自分がその場所を見ていなかったら、解釈のしようもありませんよね。
自分で見たら、違う見方をする場合も当然出てくるわけです。
もちろん、どんなに現地を見ても当時の姿が完璧に残っている訳ではないので、厳密にいうと正解はありません。
それでも、私が現地調査にこだわるのは、やっぱり現地で得られることは本当に沢山あるからなんです。温泉や美味しいその土地の食べ物も含めてね(笑)
さて、残暑の残る8月の終わり、明石入りしました。
「お城」という軍事施設は単にそこに存在してるのではなく、周りとの関係性が非常に重要。
明石城でいうと、明石海峡を抑える明石湊と西国街道まで入れてあげないと、その城の本来もっている機能、価値がぼやけてしまう。
ですから今回、明石市観光協会様へ提案した内容は、当然メインは明石城の復元模型の製作ですが、明石湊までの地図(これはジオラマではありません)を含んだエリアを作らせてもらいたい、ということでした。
なので、最初に向かうはお城ではなく、当時の海岸線の探索と明石焼のお店探しに決定!(笑)
今回の宿泊は温泉宿をチョイス。通常は便を考えて駅前のビジネスホテルに泊まることが多いのですが、この時はなぜか駅前のビジネスホテルが一杯で、明石駅から山陽電鉄で一駅東にある人丸前駅にある人丸花壇という温泉旅館に泊まりました。
ちなみに、人丸前駅のホームには日本標準時、東経135度の子午線が縦断しています。
人丸花壇に泊ったのは偶然なのですが、なんとこの旅館のある場所は明石湊の最東端であり明石城の外郭線の一番端にも当たる場所だったのでした!相変わらず引きが強い!
人丸花壇を出て海岸線の方向に目をやると、こんもりした丘のようなものが見える。
高さは4~5m位ありましょうか。
これ、実は明石湊の防波堤として機能してた土塁。
古い絵図でも確認
写真と絵図に緑の線を入れていますが、この緑のカーブが当時の地形の名残なのでしょうか?
この土塁上に見える和風の建築物は明治44年に建てられた中崎公会堂。
結構立派な建物です。
ここからこの土塁は西へ伸びていきますが、絵図に見られる入り江の殆どは埋め立てられてしまっています。
この場所は現在の明石市役所のあるあたり。土塁の右側が海の方向です。この高低差だけでも萌えてしまう(笑)
そして、ここは旧明石軍港の現在の姿。
なかなかお城まで話が進みませんが、私がお城を巡るときはいつもこんな感じ。
周りに掛ける時間がものすごーーーく長い(笑)
いつお城の話になるのか、今の時点では分かりませんが、今日はここまでにしたいと思います。