明石城築城!(1)ー明石城にも幻の屏風折れ土塀の存在!?ー
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みなさん、こんにちは。
facebookやTwitterでも発信していますが、現在お城ジオラマ復元堂は、明石城の城ラマの製作中です。
明石城は再来年2019年に築城400年を迎えます。
これを機に、明石城をより多くの人に知ってもらおうということで、明石市観光協会さんより受注いたしました。
お城ジオラマ復元堂としても、このような公のお仕事は初めてですが、満足してもらえるようないい作品に仕上げたいと思います。
でも実は私、恥ずかしながら明石城は一度訪問したのみ。その時も夕方遅い時間でしたので、あまり良く見ていません。
なので、二つの櫓しかイメージになく・・・その他一体どうなってるの?
存在感のある剛池。この池と城の関係性って、どうなってるんだろう??
行ってみなければわからないことが沢山ありそうです。
さて、まずは明石城の江戸時代に描かれた絵図を何種類か見ながらイメージを膨らませていきました。
そんな時、藤井松平時代の絵図を眺めていた、城ラマ監修の藤井先生が突然「ん?これ屏風折れ土塀じゃない?」と言いました。
た、たしかにこの「へ」の字マーク、屏風折れ土塀!?。
このやり取りの後、山形城の屏風折れ土塀が調査の結果明らかになったというニュース流れました。
記憶にある方も多いと思います。
この山形城の屏風折れ土塀の遺構の存在自体は、藤井先生が2004年に現地に行った際に確認したことを自らのブログ「藤井戦国史」の「幻の土塀をみた」というフィールドトークで発表済みでしたが、明石城の復元というタイミングで屏風折れ土塀の存在がクローズアップされたのは、シンクロしていてて非常に面白いというか、時流に乗ってる?(笑)
そして、実は今回の明石城復元のヤマは御殿の復元。
明石城の御殿は絵図が残っており、これを基に明石城の御殿の立体化に挑戦。
平面図だけでは、屋根がどうなっていたとかそういうのは分からない。
ま、その辺りは建築物にも精通している藤井先生に丸投げになっちゃいますが。
いろいろ資料をみてイメージを固めつつ、でもやはりお城ジオラマ復元堂としてはフィールドワークを一番大切にしているので、現地に行かなきゃわからない!ってことで、次回は明石訪問時のことを報告いたします。
長くなりそうなので、今日はここまで!