因幡鳥取城
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因幡鳥取城に行ってきました。
鳥取城といえば天正9年(1581年)の羽柴秀吉による「渇え殺し」と呼ばれる兵糧攻めで壮絶な籠城戦が行われたことで有名です。
現在の遺構の近世鳥取城は江戸時代に池田光政が基礎を作り、池田光仲を初代とする鳥取藩主池田家によって整備されました。
その中心は久松山の麓の斜面に天球丸・二の丸・三の丸等を配し、石垣で固めた近世遺構です。
また、江戸時代に入っても中世城郭の中心である山上ノ丸も天守曲輪として利用されていました。
日本100名城にも選ばれている鳥取城は、2005年に史跡鳥取城跡附太閤ヶ平保存整備基本計画が始まり2006年から30年の間に幕末期の姿に戻す予定だそうです。
それによるとランドマーク的な存在であった三階櫓も復元される予定らしく、非常に楽しみです。
現在堀に面している三の丸を中心とする場所は鳥取県立博物館や仁風閣、高校などがあり、吉川経家の銅像も近くにあります。
ちなみに県立博物館に入っている「カフェ・ダール ミュゼ」というレストランはとてもおいしく、この店の名物である黒らっきょカレー醤はある芸能人も大ファンだとか・・・是非お試しあれ!
県立博物館を左手に見て、まっすぐ進むと右手に門があり、そこが登城ルートの入り口。
素晴らしい石垣を眺めながら二の丸跡にのぼり、三階櫓や菱櫓の石垣の上に登って、天球丸へと足を進めました。
この天球丸の名前の由来は、関ヶ原合戦後に鳥取城主となった池田長吉の姉の天球院がこの曲輪に住んだことによるそうです。
もちろんここまででも十分に素晴らしい鳥取城ですが、この山の上にも中世城郭の中心であった山上ノ丸があるとわかっていては引き返せないのが城好きでありまして、おりしも台風が接近中で雨が降りそうな空模様の中、山頂に向かって足を進める私でした。
私も山城はそこそこ登っていまして、めったなことではくじけないのですが、この鳥取城の山上ノ丸に向かう中坂のルートの斜面のキツイことキツイこと。恥ずかしながら何度か足を止めて、それでも時間としては20分くらいでしょうか。ようやく天守台に到着しました。
そこから見る景色は、超絶景!!!
鳥取の市街地はもちろん遠くは日本海を見渡し、なんと鳥取砂丘まではっきり見えます。
いやいや、素晴らしい場所です。
本丸跡からは秀吉が鳥取城攻めの際に本陣とした本陣山(太閤ヶ平)もはっきり見えました。
登城の達成感と鎮魂の思いを込めて、勝鬨を上げ、鳥取城を後にした次第です(やばかったかなぁww)
最後に、籠城の末切腹した吉川経家が四人の子供に残した遺書の現代語訳を紹介します。(新人物文庫 鳥取県謎解き散歩より)
鳥取城に入ってから二百日がたち、秀吉が攻めてきてからは、籠城してこらえてきた。
しかし、兵糧が尽きたうえは、この経家が一人切腹して籠城する皆を助け、吉川一門の名誉としよう。
子供たちは、その名誉となる物語を聞いてほしい。
以上です!