ますます増山LOVEフェスタ 総括編その2(増山城の秘密に迫る!)
投稿日 :
みなさんこんにちは。
ちょいと東北に営業?にいっていまして、更新がご無沙汰になってしまいました。
さてさて、今回のブログは ますます増山LOVEフェスタ の総括編の続きです。
9月28日(土)の最初のプログラム増山城陣取りゲームの後は、藤井尚夫氏を迎えてのトークショーを行いました。
藤井先生は城ラマの監修をして頂いており、今回のアプリ制作においても二日間にわたり一緒に踏破して頂きました。
ちなみに、このトークショーの冒頭30分、私は頭が真っ白になってしまい、言葉が全然出てこなくて理解しづらかったと思います。寝不足でまったく頭が回らず・・・聞いてくださった方々申し訳ございませんでした。
ただし、このトークショーは内容的にはとても面白かったのではないかと思います。(自分で言うな的なw)
トークショーの1部では増山城が存在していた時代背景をおさらいしつつ増山城と八王子城を比較しながら、増山城をひも解いて行きました。
ここでは増山城解明のカギを握る「一向一揆」の本当の姿を再確認しました。
一向一揆=百姓という見方を一向一揆=在地領主連合という見方にすると、戦国時代の見方がガラリと変わりますね!
さらにトークショーの2部では、現地踏破から見えてきた新しい増山城の姿をお話ししました。
その時にお話した内容、増山城@藤井節をいくつか紹介します!
1、増山城の大手筋はどこか?
従来のF郭への筋、七曲りの説に加え、特徴的な形をした池の平等屋敷を経由し、天守(があったと仮定)の正面に入る法花坊峠からの筋を大手筋と考えました。
(新説をひっさげて登壇!)
ちなみに増山城の城ラマは、その説を裏付けするように、上図のオレンジの丸の部分に櫓門を配置しています。
2、二ノ丸にある神水鉢の正体は?
本丸の機能があったと思われる二ノ丸に存在していること、前田氏時代には茶人でもあった中川光重が城代であったことから「つくばい」であると考ました。
(増山城二ノ丸にある神水鉢)
3、K郭のひみつ
K郭は発掘の結果堀を埋め、平場を新たに造成していることが確認されている。
この城域の変化は、単なる防衛力の強化というよりは、籠城する在地領主の新しい持ち場の造成である、と考える。一向一揆(在地領主連合)との結びつきが強かった神保の城としての特徴かもしれないと考えました。
(K郭は堀を埋め平場を造成し、新たに堀を掘っている)
などなど、ほかにもありましたが、あとはせっかく来ていただいた方のみが受け取ることができる特典ということで!
その後、片付けの間にまたジオラマを囲んで、来場者の方たちとわいわいガヤガヤしながら藤井先生の説のおさらいなどして楽しみました。
今回の内容は増山城をとてもよく知っている人達にとっても、新しくとても新鮮な切り口で満足頂けたのではないかと思います。
(3次元空間でお城を俯瞰的に理解することはジオラマにしかできません!)
さてさて、今回のトークショーで私が伝えたかったこと。それは「違うけど同じ、同じだけど違う」という事です。
増山城に限らず、お城のカタチは「その時代」の「その地域」という唯一無二の背景が存在しいるからこそ成りえた形です。
ですから、当然城のカタチは私達同様唯一無二の存在であるし、オンリーワンであると考えます。
オンリーワンということはそれぞれが違っているのが当たり前です。
今回のトークショーで比較した増山城と八王子城は城の構造など違うところを見ればいくらでも見つけられる。また、どちらの方がより先進的な縄張りであるか、ということも比較することも可能であると思います。でも、両方の城は「その時代」「その地域」との関係性の中で、どちらもその土地にしっくり合うように、最適な進化を遂げていったということは「同じ」である。
このように「一見違うけど見方を変えれば同じ」(またその逆も)という視点を城だけではなく、人生のあらゆる場面で見つけられるか、平面的に固定された観念ではなく、立体的で柔軟な視点で人生を生きることができるか、ということは自分の人生をより豊かに過ごすためにとても重要だと私は考えていてます。
ですからこのイベントも単なるお城の素晴らしさを伝えるためだけではなく、お城のイベントを通じて自分なりの「気づき」が生まれ、より豊かな人生に繋がってもらいたい、という願いを込めて作りました!
(違うけど同じの一例)
そんな奥深いコンセプトがあろうことはこの「ますます増山LOVEフェスタ」という題名とチラシからは全く想像できないでしょうね(笑)
今回はここまで!
次回は2日目の様子の前に、砺波でみつけた美味しいお店の紹介をしたいと思います。