城郭散歩「館山城」
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みなさん、こんにちは。
今日は米沢にある「館山城」の紹介をします。
この城は文治5(1189)年に新田経衡の築城と伝わり、戦国時代には新田氏はこの地を支配下伊達氏の配下で引き続き館山城に拠ったことが「伊達治家記録」から分かります。
その後、伊達政宗が家督を継いだ時に輝宗の隠居所となり、天正15(1589)年には伊達政宗が地割を行ったことが分かっています。
館山城は小樽川と大樽川の合流点の段丘上(比高で30m)にあり、麓に日常居住空間である根小屋を配しています。
(館山城の現地案内板)
館山城を知ったのは、今年の8月に東京の駒沢大学で行われていた「全国城郭研究者セミナー2019」で米沢市教育委員会の佐藤氏が、調査結果を発表していたのを聞いたのがきっかけでした。
伊達氏時代の遺構を調査していたところ、なんとその後米沢に入ってきた上杉氏時代の遺構らしきものが発見されたとのこと。
上杉氏時代に館山城を普請した記録はなく、新たな発見となりました。
また、城の東側には並松土手と呼ばれる館山城との関連が考えられる遺構があります(総構えのようなイメージ)が、この辺りも館山城の奥深さが感じられ、非情に興味深いです。
(並松土手・・館山城のパンフレットより)
私は10月初旬に現地に行きました。
残念ながら、スケジュールの関係で実際に山上の城郭部分までいくとはできなかったのですが、この場所が二つの川に囲まれた天然の要害であること、そして会津へ抜ける道を押さえる交通の要衝であったことをしかと実感できました。
(館山城遠景)
また、時間をつくってしっかりと見てこようと思います。
今日はこの辺で。