「ブラタモリ」~幻の城ラマ世田谷城~
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みなさん、こんにちは。
最近はSNSにそのまま投稿することが多いので、ブログの更新はかなり久しぶりです。
12/2(土)のブラタモリの世田谷区の回で、お城ジオラマ復元堂で製作した世田谷城の城ラマが番組内で使われました。
(ブラタモリでの様子)
世田谷城の城ラマは今回の製作で3作目となります。
1つ目は、2014年4月に私自身も出演したタモリ倶楽部の世田谷城の回で提供させて頂きました。
(一作目の世田谷城。実は工作用紙を重ねて作っている)
(この時は、城マニアとして出演。若い!)
2つ目は、2017年2月に羽鳥慎一のモーニングショーで使われました。
(二作目の世田谷城。スチレンボードで作成。一作目よりも主郭を大きく取っていいます)
そして今回、2023年12月にブラタモリに提供させて頂きました。
(そして三作目。主殿や台所などの新規パーツをふんだんに使っています)
見ていただければ判るとおもいますが、それぞれ形が違うんです。
今回twtter(x)でも、フォロワーさんがつぶやいていたように、世田谷城は資料が少ないのと、宅地開発で多くの部分が削られてしまっているので、復元はとても難しいのです。
が、逆に色々な可能性がある、ということでもあります。(ということで自由にやらせてもらってますww)
(twtterでの投稿)
製作を引き受けたからには、全力でやるのがお城ジオラマ復元堂なので、過去の作品はまずは一切忘れて、現地調査も含め一から検討します。
世田谷区の文化財係にもお電話させて頂き色々と見解を伺いましたが、調査が殆どされていないためはっきりとしたことはお伝え出来ないとのことでしたが、かなり前に豪徳寺を発掘したときの資料(書物)があるということで、現地調査のついでに図書館に行き調べました。
その書物の中には、江戸時代の『江戸名所図会』の中で城跡には水を湛えた場所があることが描かれていた、という記述がありました。
なるほど、現状の世田谷城の堀は全て空堀となっていますが、一部堀の高さが段違いになっている場所もあるので、その低い部分が水堀であった可能性もあるのではないかと考え、今回は思い切って一部を水堀にすることにしました。
(この段差に注目した)
しかしながら、完成写真を番組スタッフに送った所、「あそこは番組内で空堀設定なので、空堀でお願いします。」と言われ修正。
世田谷城の水堀バージョンは幻になってしまいました。(泣)
(幻の水堀のある世田谷城)
さて、昨日の放送日。
結構しっかりと城ラマを使って世田谷城や豪徳寺について説明して頂きましたし、番組最後のテロップにもきちんと表記していただきとても有難かったです。
(城ラマはアップにも耐えられる!はず(笑))
(テロップも付けてもらいました!)
ただ、一点残念なことがありました。
それは、城ラマ世田谷城が納品状態とは違った状態になっていたことです。
番組内でタモリさんが土塁をのぞいていた団地のある場所。
(タモリさん、何度も来てるでしょww)
ここは吉良の屋敷があったという解釈(つまり本郭)で、主殿を中心として、常御殿、台所、遠侍などの屋敷群を配置していたのですが、厩と主殿のみを残して、建物や門、塀などが無くなっていたのと、その修正がちょっと雑な感じになっていました。
(こちら納品状態。吉良家の城なので主殿を中心とした武士の儀式空間を再現している。)
(番組内では多くの建物が無くなっていて、主殿のみがポツンとある)
実はこれは数日前に番組スタッフから、「屋敷がどこにあったかを分からなくするために建物を取り除いて使用させて頂いた」という連絡はありました。
でも、番組内では、その後豪徳寺に移動する際、「吉良氏の屋敷のあった豪徳寺に移動」となっていたので、城ラマの見解と世田谷区の見解が違ったので、取られてしまったのかな?と想像しました。
しかも、ぽつんと主殿だけ残っている状態なので、城マニアの皆さまから、お城ジオラマ復元堂何もかわってないんじゃね?ってなっちゃうので、ちょっと恥ずかしくなりましたよー。
はやり、色々な見解があることを伝えたうえで、作品へのリスペクトも含めてそのまま使ってほしかった!
というのは城マニアのこだわりであって、一般の人からしたらあまり気にならないとうか、どうでもいいことなのかもしれないですね。
番組は、とても面白い内容だったと思います。
ひこにゃんと招き猫の関係とか、世田谷線よりも環七が優先とか、知らない人からしたら「へーー」って「へぇ」ボタンを押したくなる感じでしたもんね。
多くのファンがいるのも納得です。
ということで、お城ジオラマ復元堂は今後もお城の復元をコツコツと行ってまいりますので、応援よろしくお願いします。