お城ジオラマ復元堂

045-562-7182
 

城ラマシリーズ 城ラマ奮闘記

HOME > 城郭コラム > コラム 城郭研究の軌跡 江戸の城郭模型(2)

コラム 城郭研究の軌跡 江戸の城郭模型(2)

コラム 城郭研究の軌跡 江戸の城郭模型(1)からの続き

 多くの練習縄張図が残されていますが、その所産の極地が『仮本いろは字形縄』のような、とても地形に即した縄張研究の成果とは考えられない架空の絵図まで作成されました。

仮本いろは字形縄』兵法秘伝書に見る太平の築城技術図48図1巻、堀がいろは文字。

仮本いろは字形縄「い」
(堀の形が「い」)

仮本いろは字形縄「ろ」
(堀の形が「ろ」)

仮本いろは字形縄「は」
(堀の形が「は」)

 江戸時代の兵法は実戦がなくなり、戦争技術の継承のため、学問として体系化された。これらの様子をもっとも兵法に熱意を持って対応した会津に見てみると、儒学の影響により、武士道、士道等倫理的側面が強くなり、陣法、戦法の研究は下火になった。

 寛永12年1643年保科正之は始め河陽伝(戦国末期に発生した楠流の系統、心性を悟り、諸民を敬愛するを上、計謀によって学ぶを中、戦術をむさぼりならうを下。正心修身、治国平天下の大義、を基本とし、賊徒を討伐するための智謀、戦術の妙を教えるもの。)山神流、太子流 明暦3年1657年甲州流 河陽伝に戻り、元禄1688年に甲州流、再び、河陽伝、天明8年1788年長沼流、幕末に洋学、蘭学とともに近代兵法が伝来し、会津藩も安政末頃1859年蘭式歩兵、慶応年1865年仏式軍法により、軍制改革を行い、部隊を朱雀、青竜、玄武、白虎に編成。

 長沼流兵法は山鹿流と人気を二分し、門弟1000人を数えた。長沼外記澹斎始祖、甲州流軍学者、戦国時代の戦史研究、孫子等武経七書を学び、明の陣法、操練に、西洋火術を取り入れた。長沼流も3分は書、2分は口伝、5分は自得にあり、兵要録22巻の練兵で兵談、錬銃、山神流築城法、出師で陣法、戦格で孫子講習を教える。

 山神流兵法は山神政光流祖、山本勘介と親しく、芦名盛隆に招かれ軍師となった。4代の向井吉重から保科家に入る。会津藩教育孝に、方5尺高さ1尺の箱に砂を盛、水を注ぎ、大小円形方形数10種の金へらで、土塁、堀、櫓のかたちを作る。要は地形を考え、歩足の状況、攻守の法を会得する。その法は方、円、曲、直、鋭の五法より、平城、平山城、山城の三法にして、極秘大星金鳥という免許が授かる。次に、城郭の縄張のできたものは本位に進み、境目繋ぎの法を印可、これを得れば本位に進み、六花練兵奥秘の伝を許す。その法は古陣図解、軍要宝鑑抄等なりとしている。

 この山神流の土による城郭模型、雛形の作成は非常にリアルに当時の築城研究を物語っている。パートナー産業長篠城プラモデルの先駆といえる。このような城郭模型は土図、木図といわれ破壊されやすいため、残存は非常に珍しいが、木図では丸亀市教育委員会所蔵の近世城郭丸亀城、加賀藩財団法人前田育徳会家尊経閣文庫の中世城郭末森城が有名であり、末森城などそのままプラモにして販売していただきたいほどである。檜製木彫7片の組み合わせ、箱書き末森城木図、明暦年間制作、明治43年家老奥村家ヨリ寄贈、東西39,4cm、南北34,7cm、高さ11cm。

末森城縄張り図
城郭模型が登場したところで、幕末から明治の城郭研究は後日の紹介としたい。

著者情報

富原道晴

富原道晴

しろはく古地図と城の博物館富原文庫代表。著書『しろはく双書』24冊、『真田戦史古城絵図』躑躅ヶ崎築城から大坂の陣迄、『戦前絵葉書に見る中世城郭織豊城郭の景観付朝鮮の倭城、城跡』、『富原文庫本安土古城図』 平成25年11月ミュージアムショップとして、日本唯一の城郭専門古書肆城郭文庫開設。メールで『しろはく活動報告古地図と城の泉』発行、内容、創刊号高遠城調査報告等、2号安中城調査報告等、3号築城学教程の系譜等。

このエントリーをはてなブックマークに追加
開発奮闘記一覧