コラム 城郭研究の軌跡 江戸の城郭模型(1)
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城郭の研究は近世城郭を中心とする郷土研究から、今では中世城郭、古代城郭まで。全国の教育委員会や研究者で実施されている。
しかし、戦後しばらく城郭の研究は軍事学として等閑視されていた。又、明治以降、戦前まで城郭研究を要塞研究として、築城の実務としてけん引したのは陸軍参謀本部や各地の軍人、郷土史家であった。
では、城郭の研究はいつごろまで遡るのか。中国では孫子の兵法が諸説あるものの、紀元前500年頃とされている。
しかし、現存日本最古の兵法書は平安時代末期の闘戦経といわれ、伝えたのは鎌倉時代源3代の兵法師範大江家で、戦国期の実力主義の前、中国兵書孫子の兵は詭道なり、調略というだましあいとした思想が日本の国風に合わない、知略ばかりに頼れば、春秋戦国時代のように国を危うくする。
兵としての精神、理念も学ぶ必要がある。金剛山麓に居を構え、楠正成もいた。源家古法と伝え、兵としての思想、精神、理念、心法を説いた。これらは今も楠流兵法として、千早城合戦物語が錦絵等に広く描かれている。
室町時代中期末期の作とされる『築城記』は天正以前の築城思想を40項目伝える唯一の貴重書で、このような百戦錬磨の戦争を経験した時代の実践的城郭研究は、同時代築城遺構との比較調査が必要とされています。甲陽軍鑑も長い論争の果てに、ようやく、其の文体から高坂弾正の作と認知された。
戦国時代の実践的築城研究を経て、江戸時代の城郭調査研究は、軍学の兵法書、古城記、古城書上帳、軍記、古城絵図等として残されている。
鎖国政策と城郭統制の中、内戦もなく、砲艦が未発達で海に守られた江戸中期の理論上の城郭研究は武教七書、特に孫子兵法の解読に始まり、幕末まで、机上の学問として進められ、一方、戦史研究も、幕府兵法である甲州流を基本として、全国に加賀藩の有沢流を始め、多くの流派を生み出しました。
高坂昌信甲陽軍艦、小幡景憲の甲陽軍鑑解読書、北条氏長の兵法雄鑑、雌鑑、士鑑用法等、山鹿素行の武教全書、長沼流の兵要録、荻生徂徠の鈐録、楠流七巻書、佐藤信淵兵法一家言等の兵法書が編纂された。
彼らの業績を評価したいのは、今の縄張研究とほぼ同じ軍事的観点から作成された膨大な量の全国古城絵図です。
現地を歩き、測量し作成された江戸中期の古城の姿は消滅した城郭の縄張を研究する上で貴重なものです。
富原文庫も数千枚の兵法城絵図、古城絵図を収蔵していますが、旧大名家である蓬左文庫、浅野文庫、加越能文庫、国文学資料館等全国に残された江戸の縄張研究の評価を充分に行うべきです。
叉、古城書上げという幕府巡見使報告に起因すると考えられる、全国の古城記も初期の日本城郭全集の編纂や各地の地方史編纂に生かされています。
江戸の縄張研究では、現地調査と絵図収集が大きな成果です。
城塞釈史、城築規範等、多くの古城絵図集が編纂され、各地にも多くの古城絵図が残されました。
彼らが城郭の歴史と構造を解明しようとした姿は今の縄張研究と変わりません。
この成果を生かし、現在の縄張研究と比較が出来ればと考えています。
全国に多くの城郭研究資料が各流派により編纂され、古城絵図が描かれましたが誰一人実践の経験がない時代になり、編纂された古城絵図もは太平の時代においては机上の学問となりました。
加賀藩甲州流軍学者有沢三貞初代永貞の築城絵図
次回 城郭研究の軌跡 江戸の城郭模型(2)に続きます。